平和な口腔内にかつてない危機が訪れようとしていました。それは、左下顎第二大臼歯のイーパパのとなり「左下顎第三大臼歯」の発育――つまり、通称「親知らず」が生えてこようとしていたのです。 日に日に圧迫されていくイーパパのため、伸びてきた親知らずは抜かれることになりました。 ……しかし、イーパパはそれを拒否します。
「がんばって生えてこようとしているこの子を見殺しにはできない」
イーパパは自分が身代りになることを選びました。
そしてイーパパはお口の中から出ていくことになってしまったのです。
「これでよかったんだ」とイーパパは自分に言い聞かせました。
しかし、事態はこれだけでは終わりませんでした。あろうことか、手術ミスにより
自分が身代りになって助けたはずの親知らずも一緒に抜かれることになってしまったのです。
「そんなバカな――!」
信じられない光景でした。……無残な姿になった若い歯を見てイーパパは泣きました。 悲しみの涙ではありません。怒りと悔しさの涙でした。なぜなら、彼らを抜歯したのは無免許医 だったのです。イーパパは自分を責めました。「やぶ医者の前に自分はなんて無力なんだろう」と。 そして考えました。「自分に何ができるのか」と。やがて、イーパパは涙をぬぐい、心に決めたのです。
「良い歯医者さんだけが集まる歯医者の街をつくるんだ――」
こうして、イーパパはイーハハと若い親知らずを置いて、「歯科の街」をつくる旅に出たのです。
ときは流れ10年――
あの日イーパパと一緒に抜かれた親知らずは大きく育っていました。イーハくんと名付けられた少年は
左上顎第二大臼歯のイーハハと仲良く暮らしていました。平穏な毎日でしたが、イーハくんはイーハハから
聞かされていた“自分が生まれた日”のことは片時も頭から離れませんでした。
月日とともに大きくなっていく「歯科タウン」。イーハくんは、それこそがイーパパがどこかで生きている
証明なのだと信じていたのです。
そして、ついにイーハくんは旅に出る決心をします。イーパパの唯一の“形見”、いにしえの歯科(鹿) の都「ならけん」で見つけたという愛鹿のイーシカを駆って、彼はイーパパを探す旅に出たのです――。